2010年02月08日

増原彬陽さん偲ぶ会

昨年10月に不慮の事故で亡くなられた、増原彬陽さんの偲ぶ会に出席してきました。(2月7日午後2時より開催した)
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 増原さんは、元名演の事務局員。人業劇団「ひらき座」の座付き作家・演出家、ですがそれ以上に様々な分野で活躍されました・社会教育の分野でも名古屋の青年の家での「演劇講座」をはじめとする数々の講座で講師となり、多くの人たちをと共に「演劇」という表現を通じて、ひとり一人が「元気」になれるよう、多くの人たちの「師」として慕われていた。ある意味で演劇の持つ可能性をずっと追求してきた人だったのではないかと思います。
 
 増原さんがやろうとしてきたことは何か。
 増原さん追悼文集の中の岡田京子さん(作曲家)の「そのままの生き方こそ表現なのだ」から引用させてください。
100207-2.jpg「 前略… 思うに、あなたは永いこと演劇をやってきたけれど、それは決して既成のスタイルの追求ではありませんでしたね。「演劇はこんなもの」という定番みたいなものがあって、それに従って技術や力量を評価する習慣でなり立っている世界のなかで、一番評価されにくい方向を選んだのですね。
 あなたはあなたのまわりに集まったー人ひとりの「そのままの生き方こそ表現な
のだ」という方向を、1 回1 回模索し積み上げて来たんですね。みんなに「そのまま
でいいんだよ』と呼びかけ、『そのままとは何か」を考え続けてきたのではなかったでしょうか。 … 後略 」

 偲ぶ会は約180人ぐらいの人が参加しました。増原さんは「まっさん」と呼ばれ、偲ぶ会でも、「人と酒と平和を愛した」、「明るい貧乏人」「才能がありながら権威をふりかざさない・「すべてを受け止めてくれる人」などなどの言葉が出てきました。
 名演の事務局員としては3年あまりの在職にも関わらず、増原さんに接した多くの会員から「いつも彼に減じづけられた」「一度も悪い思いをしたことがない」といった声がありました。その後の社会教育活動で知り合った会員もたくさんいます。

 多くの人たちの「師」であったに違いない。そんな「まっさん」がこんなに早く逝ってしまったことは、名古屋にとって大きな損失だと思うと残念でなりません。
謹んで哀悼の意を表します。

増原さん追悼関連サイト
http://www.hirakiza.com/masuhara.html
名古屋大学在学中の劇団新生時代の増原さん
http://kita-akari-seek.justblog.jp/blog/2010/01/post-34bc.html


posted by 管理人 at 16:49| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 名古屋の演劇など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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